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正覚寺(しょうがくじ)は、大阪市平野区加美正覚寺にある単立〔門前に『宗教法人 正日蓮宗 成等山 正覚寺』と記されている。〕寺院。山号は成等山(じょうとうさん)。奇数日の午前9時半と午後1時半に一般参詣できる。 == 歴史 == 天長2年(825年)に空海(弘法大師)により開基。かつては境内四町四方、本堂二十一間四面、不動堂七間四面、その他山門、廻廊、伽藍等巍々たる名刹で、東之坊ほか五坊を有する巨刹だった。 明応2年(1493年)2月25日に畠山政長が室町幕府10代将軍足利義稙と共に正覚寺城(現在の旭神社境内)に本陣を敷き畠山義豊と対峙するも逆襲に遭い、それに荷担した細川政元が京都でクーデターを起こし(明応の政変)、諸将合わせて4万余の兵を率いて進撃、4月23日に本陣は陥落し政長は自殺、義稙は捕虜となり、寺は兵火に合い三日三晩燃え続け、寺院内の高僧や修行僧は寺院と運命を共にした(正覚寺合戦)。以後、正覚寺は廃寺となり、現在、正覚寺旧六坊(柳之坊、池之坊、中之坊、大寺坊、揚々之坊、東之坊)のうち東之坊のみ現存し、山門の傍らに『正覚廃寺の由来碑』がある。 現在の正覚寺前に由来記板があり、そこに『天長年間弘法大師開基(中略)昭和十二年に太田上人が三晩日昭上人の夢を見て報恩のために再建を決意、昭和三十七年に完成した』と記されている〔大阪史蹟辞典(清文堂出版 昭和61年 ISBN 4792423414)274ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「正覚寺 (大阪市平野区)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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